国産ジーンズの発祥といえば??
|やあ、世界のみんなアンニョン。
金正男だ。
第3回目ジーンズの歴史の時間だドン。
今回のテーマは일본のジーンズの発祥。だ
일본では1965年、初めてジーンズが輸入販売された。らしい
輸入販売を始めたのは青山(朝鮮で言ったら平壌だな)にあった栄光商事ってところ。
後に米軍やその家族の放出品である通称セコハンジーンズを取り扱う店などがアメ横に増えていった。
栄光商事は海外歌手や一般客にも愛された店になったそうだ。まさに栄光を掴んだってこと
1957年には衣料の輸入が緩和されてLeeやLevisと契約販売を結んで大量のジーンズが日本に流入した。
んで、ここからが本題で일본のジーンズ生産発祥の地の話をするンゴ。
国産ジーンズ発祥の地と言えば일본人の読者なら分かると思うがもちろん岡山県は倉敷市。
(我が国の核実験場 豊渓里核実験場 を国民がみな知っているようなものだな)
倉敷市児島のマルオ被服(現在はビックビジョン)が受託生産を開始した。
マルオはアメ横から持ち込まれるジーンズの裾直し手掛けていた関係でジーンズに興味をもったらしい。
そして遂に1960年にマルオが日本で最初のジーンズを生産販売を開始、千葉県高畑縫製がEIGHT-Gを生産販売した。
(1961年に東京の常見米八商店、現在のエドウィンが初っていう説もあるらしいがな。どうでもいい)
史実上曖昧っていうことで確実に日本のジーンズの起源だ!って言えるのは
全国での初ヒットモデル「キャントン」である。しらんけど
「キャントン」は1965年にマルオがアメリカのキャントンミルズ社のデニム生地を使って
国内で生産発表したジーンズの名前らしい。
当時日本ではゴワつく感じのジーンズは受け入れられなかったため「ワンウォッシュ」という
現在のジーンズ生産にも繋がる技術を世界で初めて取り入れた。
1971年には1500万本、1973年には4500万本もジーンズが売れ日本にジーンズが
急速に広まったんだとさ。めでたしめでたし。
今回は今までに比べてちょこっとだけ長い記事になっちゃた。
これくらいでジーンズの歴史シリーズはお終い。次回は自分が愛着している501の紹介でもしようかな
では、トッ。